あけましておめでとうございます。
年明けからスタッフブログの更新を「林道 あれ?これ!」というタイトルでスタートさせていただきます。
西播磨事務所から2分の所に高瀬船120艘の流通基地があった!
今日はわれわれの調査基地にもなっています、西播磨事務所近辺の紹介をさせていただきます。林道とは距離的には離れていますが、古くを訪ねると大いに林道と関係しているのです。といいますのも林道開発以前丸太を筏に組み川で運搬していた時代のことです。その筏運送の重要な拠点がわが西播磨事務所から2分の揖保川にあったという史実です。
波賀あたりの木材は筏にし、一宮あたりでさらに集積され、連ねて揖保川を下っていく、そして海までの途中基地として今の事務所の場所よりすこし下流のところに中継ぎ宿泊やお楽しみ所があったとのことです。また飾磨津まで筏を流した帰りの筏師は日当を腹に歩いて上流の村まで帰る途中山崎には一休み休憩に立ち寄り町もにぎわったとのことです。
江戸時代においてはこうした揖保川の船運に着目した高瀬舟による運搬が隆盛を極めます。
資料によりますと、地名を出石河岸(読み方注意)といい、西岸と東岸と両岸がさかえ網干港までの7里(28㎞)さらには海上3里を行き飾磨津までの運搬の起点になっていました。幕府領や諸藩の米蔵、荷物取扱の問屋が6~7軒、高瀬船は120艘、商人として龍野屋孫兵衛、英賀屋弥次兵衛、千種屋源右衛門、出石彦左衛門らによって、木材さらには砂鉄などの流通でにぎわったとあります。
はじまったのは江戸以前元和7年(1622年)いまから400年近くも昔の話とのことです。
今ではそのほんの一部の片鱗を残した石垣にしか見られませんが、市と国土交通省による揖保川河川整備が進みだしており、公園に生まれ変わろうとしているとのことです。
添付の写真は高瀬船が往来したころをしのばせる、河岸の石垣と整備される撤去前の廃家の写真です。美化公園になれば貴重な写真になるかもしれません。(歴史的事実は確認要です)
出石西河岸石垣
河川整備で取り壊し寸前の廃屋

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